LOGINこの大陸の中央部には太古の昔から皆々に『ユグドラシル』と呼ばれる異常な程に巨大な『世界樹』が存在している。山程に巨大なその大樹の麓には聖獣や精霊、妖精などといった不可思議な生命が数多く棲息し、その他の生き物達の侵入を拒む。そんな地域を取り囲む様にして広大な森林地帯が広がり、更にその森を越えてやっと、一番人口比率の高いヒューマ族、次いで獣人、竜人、エルフなどといった多種多様な種族達が暮らしを営む地域が点在する様になる。そして更に大陸の外輪方向に向かうと危険度の高い魔物達が住まう『外界』もしくは『外輪界』と呼称されている禁断の地へと繋がる。その地域はとても危険で、魔物だけじゃなく、かなり好戦的な『魔族』と呼ばれる種族の生息域にもなり、平和に暮らす人々の生活を日々脅かしている。そのせいで大陸の外輪側へ行けば行く程に治安が悪く、『スラム』と呼ばれる貧民街が多くなっていく。
ヒューマ族の少女・レオノーラが生まれ育ったのも、とある国の外界近くにあるスラムの一角だった。
物心ついた時にはすでに親もなく、一人路地の片隅で生きてきた。痩せたネズミの肉を奪い合い、食い残しのゴミを漁ったり雑草を食らって飢えを誤魔化し、汚泥を啜っての生活はただただ苦しく、心も体も日に日に疲弊していく。何の為に生きているのかもわからず、他人は全て敵に見え、生きているのも辛いが死ぬのも怖い。体調を崩して倒れても、周囲には似た境遇の者達ばかりで余力など誰にも無く、助けなんか当然無いからいつも己の回復力だけが頼りだ。『
そんな日々が続く中。レオノーラの住むスラムに『救済院』の一団がやって来た。各国の教会に所属しいる回復能力に特化した『聖女』や『神官』達が主体となっている団体で、貧民街での炊き出しや仕事の斡旋、シェルターの建設、生活環境の改善などといった活動を行っている組織である。活動の一環で保護者のいない子供達を保護してもいるのだが、自分が保護対象であった事をレオノーラが知ったのは、残念ながら彼らが次の地域に向かった後だった。
平屋の簡素な造りではあるものの、レオノーラはしばらくの間は救済院の建設したシェルターで過ごす事にした。もう救済院が去った後だったので食事は相変わらず自給自足ではあったが、雨風の心配がなく、屋根の下で眠れるだけでもありがたかった。 寝所を共にした縁で『知り合い』と認識出来る相手にも出会え、同じくらいの年齢の子とも遊んだりもして、やっと子供らしい生活が始まったのも束の間——突如そのシェルターは跡形も無く消えてなくなった。
貧困層と似たような生活をしつつも、貧民街を食い物にしている一部の者達が勝手に建物を解体し、日銭欲しさにその素材を全て転売してしまったのだ。シェルターで暮らす者達は貧民街の中でも特に最底辺に位置する者達ばかりだったので、彼らには抗議する術も気力もなく、多くの者達が路地裏での生活にまた転落した。力のない子供であるレオノーラもその中の一人だった。
いくら助けても、受け手側にそれを受け取るだけの器が無い。
そのせいで結局スラムの状況は改善されず、レオノーラの暮らす街では救済院の行為はほぼ全て徒労に終わってしまった。だがそれでも諦めずに各国を順々に巡り、一つ前の街での反省点を活かし、活動内容を改善しつつ、貧困層の救済に全力で挑む聖女達の努力する姿は教会への求心力の一端を担っているおかげで今後も彼女達の活動は続いていくのだが、この国の上層部達はもう諦めの境地に達していた為、このスラムに追加で手を差し伸べてもらえる日が来たのはもう、いく代も世代を超えた先となる。
◇ 数週間後。どうしてかまた、『救済院』を名乗る者達がレオノーラが暮らすスラムに現れた。炊き出しを始め、『聖女様からのありがたいお言葉を頂けるぞ』と語って人々を集める。以前来た『救済院』の施しと似た手法だった事もあり、スラムで暮らす多くの者達が集まった。だが、『配給のパンをもらえるそうだ』『傷の手当てをしてもらおう』『医者に病気を診てもらえるらしいぞ』と口にした者達は、救済院が新たに拠点とした建物の中に消えたまま、何故か帰って来なくなった。一人、また一人と、女子供だけじゃなく、若い男性までもがスラム街から消えていく。
不審に思い、シェルター解体の一件で以前以上に人間不信に陥っていたレオノーラが遠くから様子を窺っているうち、彼女は『救済院だ』と名乗る団体の正体に気が付いてしまった。
今回『救済院』を語って来た者達は皆、『奴隷商人』だったのだ。
闇夜に紛れて人々を馬車に乗せ、スラム街の人々を『奴隷』として出荷していく。奴隷はどの種族であっても何処の国であろうが禁止されているのだが、安価で使える働き手などとしての需要はなくならない。奴隷を扱ったとバレれば売り手も買い手も捕まるが、残念ながら全てを取り締まれる程の警備力を誇る国はほぼなく、世界の暗部はじわじわと広がるばかりなのが現状だ。
(捕まれば、私も売られてしまう!)
子供ながらにそう悟ったレオノーラは直様スラム街から逃げ出した。
壊させる以前のシェルターなどには、元は奴隷だったが運良く逃げて来て、結局スラムに行き着いた者達も多く居た。そんな彼らが口にする体験談は悲惨なものばかりだったからだ。性奴隷にされた者ならまだ幾分かはマシな方で、医術の実験台にされて毒を飲まされ続けたり、回復魔法の練習をする為の事前準備だと体を切り刻まれた者や、狩りの対象にされて外界付近を追い回された挙句に仲間を目の前で惨殺された者もいた。その為体の一部を欠損している者も多く、そんな者達を多数見てきたレオノーラの中には『スラムに留まる』という選択肢は存在しなかった。すぐに彼女は安全そうな方角へ走りに走った。剥き出しの足裏が痛もうが、勢い余って転んで怪我を負おうが、目に入った木の実をもぎ取り、川の水を啜ってとにかく遠くへ逃げた。生まれ育ったけど名も知らぬ国を出て、力ある魔物や獣が多く住む『深淵の森』と呼ばれている地区に入ってしまっても走り、安全そうな地点で気絶するように眠っては起きて、また走り続けた。安住の地なんかきっと何処にもないけど、目指せる地点も特になくても、もう奴隷商の影に怯える心配なんか不要になったはずだと考える日もあったけど、この先何をしていいのかもわからない身ではもう『走って逃げる』という行為そのものが生きる目的となっていった。
深淵の森には魔族が居ない分、大陸の外輪側よりかは幾分安全ではあるものの、多種多様な動物や魔物は数多く存在している。そんな森の中に小さな子供が侵入してもう一ヶ月程が経過した。星を読む知識も無い小さな身では方角を完全に見失っていて今更元の国に戻る事も叶わない。前に前にと、歩きながらただ進んで行くが、他人からの悪意に晒されない分スラムに居た頃よりも気は楽だった。——そんな日々の中。レオノーラは時々『魔力溜まり』と呼ばれるものを発見する事があった。小規模なものは簡単に消える程の脆いものなのだが、触れたその瞬間、別の場所に飛ばされるという不可思議で簡易的な天然の転移ゲートでもある。地底深くに根付いているユグドラシルの根っこに沿って自然発生している物なので使ってみないと何処に飛ぶかもわからない。だが特に目的地の無い彼女にとって不都合に感じる理由などなく、見付けるたびに遊び感覚で触れていった。肉食獣からの追跡から逃れる為に命からがら使った事もある。実は他にも使い道のある物なのだが、それを彼女が知るのはもっと先の事だった。
何度目かの転移の果て、レオノーラは思いも寄らぬ場所にまで到達した。
「まさか……これって、世界樹?」 酷く驚き、目を見開きながら久しぶりに発した彼女の声は酷く掠れていた。この瞬間。レオノーラは世界樹『ユグドラシル』にまで到達した初めてのヒューマ族となったのだが、彼女の名前が後世にて各国の歴史書に刻まれたのは、もっと別の理由でだった。
日常のとある一日。 五人の子持ちであるレオノーラがお風呂に入ろうとした時の事だ。短い足で必死に立ち上がり、ちっちゃな両手を彼女の方に伸ばしながら、カラミタがこんな要求をし出した。「いっちょに、おふりょに、はいりゅ、の!」 まるで決意宣言でもするみたいにちょっと大きめな声で。ふわふわなほっぺをぷるんと揺らしながら言うもんだから、レオノーラが胸を射抜かれている。赤子特有の尊さのせいで呼吸まで苦しそうだ。 「駄目ですよ、カラ」 優しい声色で声を掛けつつセリンがカラミタの小さな体を片手で持ち上げる。期待に揺れる尻尾を避けつつ彼を縦抱きにすると、カラミタは不貞腐れた顔になって兄を見上げた。 「にゃんれぇ?」 そんな不満いっぱいの表情すらもまた可愛くって、もうレオノーラは息も絶え絶えだ。手に持っている着替えの服を落としそうにもなった。 アイシャも「何?どうしたの?」と訊きながらやって来て、自室で読書をしていたテオドール、風呂の順番待ちをしつつ庭先で鍛錬中だったリトスまでもが風呂場近くに集まった。 「カラが、母さんとお風呂に入りたいそうなんですよ」とセリンが弟達に説明した。 「いやいや。ダメでしょ、カラは一緒に入っちゃ。後で君専用のお風呂で沐浴しようなぁ」 アイシャにまで『ダメ』と言われてカラミタが一層拗ねる。頭を撫でながら諭すような声で言われてもやっぱり同意は出来ないみたいだ。「だってさぁ、よく考えてみ?子供特権とばかりに一緒にお風呂入ったとするだろう?」「んっ♡」 瞳を輝かせ、カラミタが何度も頷く。その光景を想像までしているのか頬が少し赤い。「ウチの風呂は掛け流しの温泉だから赤ん坊にはちょっと熱いだろうしさ、興奮もしてさ、鼻血出しそうじゃない?」「あ、めっちゃありそうだな」 アイシャの立てた一連の過程に、流れる汗をタオルで拭きながらリトスが同意した。テオドールも「あぁー」と言いながら納得顔である。「んで、その様子を見て慌てた母さんが全裸のまま風呂場から飛び出して来たりでもしたら、今度はカラが悲鳴をあげたくなるんじゃない?んな姿の母さん、他の奴には見せたくないでしょう?ウチらだって反応に困るし」「——っ!」 カラミタの表情が一気に変わり、想像しただけで既に悲鳴をあげそうな顔になった。そしてすぐに態度を一転させ、レオノー
初めて『言葉』を発してから数日後。 カラミタが深い眠りから目を覚ますと、目の前には長男であるセリンが居た。しかも彼の大きな腕の中に抱えられているという状態で。反射的に「れぉにょ——」と舌足らずな状態のままレオノーラの名を呼ぼうとしたが、「シー。お静かに。母さんはまだ寝ていますから、そのままにしてあげませんか?」と口元に指を立てながら言われた。だがカラミタは顔を顰め、それでも尚彼女を呼ぼうとする。そんな彼をセリンがレオノーラの近くにまで敢えて運んだ。そして「……貴重な寝顔が見られてよかったですね」と小声で言う。するとカラミタがぐっと強めに口を閉じた。いつも自分よりも先に起きているレオノーラの寝顔を見られて歓喜している様だ。 少しの間。二人は揃って、眠るレオノーラの寝顔を観察した。早朝だからか彼女が起きる気配は無い。外もまだ薄暗く、やっと朝日がかろうじて姿を現したかどうかといった頃合いだ。他の部屋で休む兄弟達が起きている様子もなく、どうやらセリンとカラミタだけがかなり早く起きてしまったみたいだ。「…………♡」 セリンがちらりと視線をカラミタの方へやると、彼はいつも通りにレオノーラをじっと見ていた。その表情は完全に恋焦がれている者の目で、決して『赤子』が『親』に向ける視線ではない。「カラ……」 愛称で彼を呼び、セリンはとても小さな声で「少し、僕とお喋りしませんか?」と声掛けた。いつもなら問答無用で『ヤッ!』と拒絶してレオノーラにしがみついて離れないカラミタだが、今彼女は眠っている。普段ならば『赤子の特権』とばかりに我儘を突き通す彼だが、この寝顔を崩すのは流石に忍びない。ただ、寝起きのぼんやりとした表情にも興味があって、カラミタの心はしばらく揺れた。「僕との話が終わったら、ベビーベッドじゃなく、母さんのベッドに降ろすという特典をつけてあげますよ」 普通の赤子になら絶対に言えない台詞だが、セリンはカラミタであれば問題無いという確信を持ってそう提案する。するとカラミタは黒い瞳をキラキラと輝かせながら何度も首肯を返した。「では、まだ寝ている人が多いので外に行きましょうか」「ぁぃっ」と返事し、カラミタの小さくて黒い手がセリンの服をキュッと掴む。もう一年近く一緒に暮らしているのに初めての事で、セリンのドラゴンにも似た口元が優しく綻んだ。 ◇ 二
保護すると早々に決めたはいいものの、内心では『赤ん坊の育児なんて私が本当に出来るんだろうか?』とレオノーラが心配している。出産経験も無く、育児に関する勉強をしてきたその道のエキスパートでもなし。『幸いにして人手の多い家だから何とかなるんじゃ?』という甘えは無かったとは正直言えない。セリンが文字の読み方を教えてくれたおかげで、子供達を保護するたびに育児関係の本だけは沢山読んではきたが、知識だけで実地に挑むのには不安がある。赤ん坊が相手では些細なミスも命取りになりかねないから、絶対に失敗は出来ないというプレッシャーも。 だけど、カラミタの『子育て』は実に拍子抜けするものだった。 生後間もない赤ん坊は三、四時間毎にお乳をあげると育児書には書いてあったのに、彼は爆睡タイプだった。一度寝ると朝まで、下手をすると三日三晩寝続けて『ちゃんと生きてる⁉︎』と皆が心配になったりもした。でも、思い返してみると上の四人も、もっと小さい頃には寝ている事が多かった。最長で一ヶ月間も起きなかった子も居る。(……あぁ、コレもまた『世界樹』のせいか) 彼女が今更そう気が付いたのは、五男となったカラミタの寝顔を見ている時だった。『きっと世界樹から受ける恩恵を、こうやって長く眠る事で体に馴染ませ、作り変わっていっているのだろう』と。 じゃないと、『魔族』であるカラミタが此処で生きていくには無理があるからだ。 実は、そうであると知ったのは、『魔族』の赤ん坊を保護して二、三ヶ月程も経過した後だった。子供達の間で『これを機に、魔族に関して真面目に研究してみる』という流れになり、長い歳月を掛けて拾い集めていた文献を漁っていく中で発覚したらしく、『——カラ、ちゃんと生きてる⁉︎』とアイシャ達が慌てて走って来た時、レオノーラはかなり焦った。でもよくよく考えると納得しか出来ない。『魔族』は世界樹のある大陸の中央部に行けば行く程出現報告が極端に少なくなっていく。世界樹が拒絶しているのか、魔族が世界樹を毛嫌いしているのか。魔族が世界樹に近づかない理由は不明なままで、その理由次第ではカラミタが死んでしまうのでは?と心配したのだが、保護してから一年近く経った今でも彼は元気いっぱいだ。「……でも、小さいねぇ」「あ、うぅー」と言いながら、レオノーラが腕に抱えているカラミタは『我関せず』といった様子で彼女の髪
「ところで、この子の性別って女の子?それとも男の子かなぁ?」 本で調べた方法によると布に染み込ませて飲ませる方法もあるみたいだが、大人しい赤ん坊だし、それなら衛生的にもこっちの方がいいだろうという理由でヤギのお乳をスプーンで少しづつ飲ませながら、レオノーラが周囲に集まって観察している四人に訊いた。 「男でしょうね」 「男の子ですよ」 「男に決まってるだろ?」 「むしろさぁ、何だってまた、この子が男の子以外の可能性なんか持っちゃってんの?」 長男のセリンを筆頭に、順々にそう指摘され、「——え、むしろ何で、みんなこそ『男の子』って断言出来るの?」とレオノーラが驚きながら返した。「だって、ちゃんと見てみて?このモチモチの柔肌、ぷりんとした輝くほっぺに、真っ黒ではありつつも後光さす小さな足とこのお手々!ふくよかさに溢れた溝ある腕と脚!そして何よりもこの大きな鱗で最大の急所が見事に覆われているから、完全に性別不明だよね?」 この魔族の赤ん坊の肌は全体的には白いのだが、手などの末端に近づくにつれ真っ黒になっている。爪と肌の間に境界線がまるで無く、今は丸い指先だが本人の意思次第で鋭く変異しそうな片鱗がある。レオノーラからちっとも視線を逸らそうとしない瞳の色は光をも反射しない程に黒く、漆黒の闇や深淵を他者に連想させた。まだ細くて柔い髪は綺麗な紺色で、両耳の上には大きな角が既にもう左右それぞれに生えている。生後まもないからなのか、まだその角は柔くてそっと触れると少しへっこんだ。尾骶骨の辺りからは爬虫類にも似た長い尻尾があり、股間の急所部分は大きくて黒い鱗で覆われている為一目では性別がわからないのに、『何故四人とも断言出来るの?』とレオノーラだけが困惑顔になった。 「まぁ、その鱗のせいで性別の判断が難しいという母さんの言い分は理解出来ます。ちなみに、竜人族も普段はこの子の様に鱗で急所が覆われているので、その鱗は急所の保護の為であると断言出来ますよ」 「おぉぉ!『魔族』の生態なんてほぼほぼ知られていないから、コレって地味に大発見だね。他種族との共通点とか調べたら奥深そうっ」 研究や勉強好きなアイシャはセリンの話に興味津々といった様子だ。「なぁなぁ。それよりもさ、コイツの名前ってどうするんだ?」 リトスの問いに対し、レオノーラ達が『そうだった!』と表情を変
あの後すぐに二度目の転移魔法を使って自宅に戻った。裸のままで、しかも首も座っていない歳の子だったため、レオノーラは着ていたローブを脱いで、魔族の赤ん坊をそれに包んで抱いている。 「母乳の代わりに、どうやらヤギのお乳で代用出来るみたいですよ」 「そうなんだ?良かった」 家に到着するなり早速代替え品を調べてくれたセリンに、安堵した様子でレオノーラが返した。 「赤ん坊の服なんて流石に無いからウチがちょっと作ってくるよ。あ、テオが昔着てた服ちょっといじるねー」 「多分衣装棚の一番下にしまったままだと思いますから好きに使って下さい。——じゃあ僕は、ベビーベッドの代わりになりそうな物を倉庫から探して来ますね。無かった場合は急いで作っておきます」 今度はアイシャが赤ん坊の服の用意を始めた。まだ『魔族』を拾った事に対して困惑気味ではありつつも、それを隠してテオドールもきちんと対応する。どうやら、この件に私情は持ち込むべきじゃないと決めたみたいだ。 即座に保護を決めて連れ帰ったはいいが、家には赤ん坊に必要そうな物など一つとして無い。既に子供が四人も居る家庭ではあれども、一番小さくても三歳からの子育てだったのだから仕方のない事だった。 「んじゃ俺はヤギのお乳搾って来ようか?」 そう言うリトスの頭を優しく撫で、「そうだな。頼めるか?」とセリンが言う。 「リトスー、お乳を入れる瓶はちゃんと先に煮沸すんだぞ」とアイシャが声を掛けたが、「……『しゃふつ』?」と首を傾げたもんだから、リトスの方へ走って戻り、「おっし。じゃあ煮沸だけは手伝ってあげるから、こっち来なよ」とキッチンに兄を引っ張って行った。 「あれじゃ、どっちが兄かわかりませんね」 「ですね」 笑うテオドールとセリンの様子をじっと見上げ、レオノーラが感心している。(ウチの子達、四人とも能動的で偉いなぁ) 帰宅後すぐに動き出した四人とは違い、『母親』であるレオノーラはまだ何も出来ていない。そんな自分の自己評価を下げつつ家の中に入り、各部屋を回って柔らかそうなクッションを家中から集めて床に並べた。そして彼女は早速そこに一旦赤ん坊を寝かせようとしたが、ぎゅっと強く服を掴まれて離して貰えなかった。 「……あちゃぁ」 だがこのままでは何も出来ない。連れ帰った責任は自分にあるのだから皆みたいに行動しな
転移魔法を発動させ、レオノーラ一家は世界樹の北側に広がる深淵の森の深部近くに降り立った。 「ちゃんとみんな居る?大丈夫?」 彼女が問い掛けると、四人の子供らはそれぞれが無事を伝えた。 世界樹を中央部に抱くこの一帯には様々なタイプの飛竜やフェンリルなどといった高位種の魔物が数多く棲息している。その中でも最も力強い特殊個体は『聖獣』とも呼ばれ、世界樹を守護していると“古代史”や“伝承”でも語られている。世界樹に近づけば近づく程に強い個体が多くなるが、それらは往々にして“善性”が強く、外界に生息する魔族、ゴブリン、オーク、コボルトやゴルゴンなどといった魔物達とは一線を画す。だからか“強い悪意”を向けず、尚且つ世界樹に近付きさえしなければ、基本的には襲っては来ない。 だがそれは、あくまでも『基本的には』であり、『絶対』では無いので結局は近づかないのが最善だ。 人々の暮らす地域に近づいていくと、『深淵の森』は、徐々に、恵みをもたらす『母なる森』と化ていく。『冒険者』などといった職に着く者達ですら入って来るのは中間地点辺りまでで、こんな深部にまで来るのは彼女達くらいなものだ。世界樹の恵みを存分にその身に染み込ませている彼女らはもう、聖獣達にとっては『世界樹の一部』であるため襲われない。 だがしかし、レオノーラの魔力残滓だけを辿って転移して来た者達であれば、その先の運命は……火を見るよりも明らかである。「……此処まで来そうかい?」 セリンがそう問い掛けながらそっとリトスに近づくと、彼はぶんっと首を横に振った。 「大丈夫。テオとアイシャがわざと魔力を散らして、沢山わかんなくしてくれてたから」とリトスがセリンに小声で伝える。セリンも一応周囲を確認したが……特異な者の気配が一つあるだけで、気配や臭いに過敏なセリンの言う通り、町からの追尾者達の姿は何処にも無かった。「……テオ」 「えぇ。僕も気が付いていますよ」 追尾者の心配はせずに済んでも、別の特異な気配の存在が気になり、セリンがテオドールを呼んだ。気配が漂う位置は低く、どうやらかなり近い。でも周辺には聖獣どころか高位の魔物すらも居ないみたいだ。「——ぅ、ぁぁ」 か細くて小さな声が微かに五人の耳に届く。どうやらすぐ近くに生き物が居る事は間違いないようだ。 声の正体が気になり、