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【第1話】『母親』の生い立ち・前編

last update publish date: 2025-11-14 10:20:25

 この大陸の中央部には太古の昔から皆々に『ユグドラシル』と呼ばれる異常な程に巨大な『世界樹』が存在している。山程に巨大なその大樹の麓には聖獣や精霊、妖精などといった不可思議な生命が数多く棲息し、その他の生き物達の侵入を拒む。そんな地域を取り囲む様にして広大な森林地帯が広がり、更にその森を越えてやっと、一番人口比率の高いヒューマ族、次いで獣人、竜人、エルフなどといった多種多様な種族達が暮らしを営む地域が点在する様になる。そして更に大陸の外輪方向に向かうと危険度の高い魔物達が住まう『外界』もしくは『外輪界』と呼称されている禁断の地へと繋がる。その地域はとても危険で、魔物だけじゃなく、かなり好戦的な『魔族』と呼ばれる種族の生息域にもなり、平和に暮らす人々の生活を日々脅かしている。そのせいで大陸の外輪側へ行けば行く程に治安が悪く、『スラム』と呼ばれる貧民街が多くなっていく。

 ヒューマ族の少女・レオノーラが生まれ育ったのも、とある国の外界近くにあるスラムの一角だった。

 物心ついた時にはすでに親もなく、一人路地の片隅で生きてきた。痩せたネズミの肉を奪い合い、食い残しのゴミを漁ったり雑草を食らって飢えを誤魔化し、汚泥を啜っての生活はただただ苦しく、心も体も日に日に疲弊していく。何の為に生きているのかもわからず、他人は全て敵に見え、生きているのも辛いが死ぬのも怖い。体調を崩して倒れても、周囲には似た境遇の者達ばかりで余力など誰にも無く、助けなんか当然無いからいつも己の回復力だけが頼りだ。『回復ヒール』などといった魔法を覚える伝手もなく、体が丈夫な訳でもない。器用貧乏タイプである『ヒューマ族』の子供はどこまでも無力だった……。

 そんな日々が続く中。レオノーラの住むスラムに『救済院』の一団がやって来た。各国の教会に所属しいる回復能力に特化した『聖女』や『神官』達が主体となっている団体で、貧民街での炊き出しや仕事の斡旋、シェルターの建設、生活環境の改善などといった活動を行っている組織である。活動の一環で保護者のいない子供達を保護してもいるのだが、自分が保護対象であった事をレオノーラが知ったのは、残念ながら彼らが次の地域に向かった後だった。

 平屋の簡素な造りではあるものの、レオノーラはしばらくの間は救済院の建設したシェルターで過ごす事にした。もう救済院が去った後だったので食事は相変わらず自給自足ではあったが、雨風の心配がなく、屋根の下で眠れるだけでもありがたかった。

 寝所を共にした縁で『知り合い』と認識出来る相手にも出会え、同じくらいの年齢の子とも遊んだりもして、やっと子供らしい生活が始まったのも束の間——

 突如そのシェルターは跡形も無く消えてなくなった。

 貧困層と似たような生活をしつつも、貧民街を食い物にしている一部の者達が勝手に建物を解体し、日銭欲しさにその素材を全て転売してしまったのだ。シェルターで暮らす者達は貧民街の中でも特に最底辺に位置する者達ばかりだったので、彼らには抗議する術も気力もなく、多くの者達が路地裏での生活にまた転落した。力のない子供であるレオノーラもその中の一人だった。

 いくら助けても、受け手側にそれを受け取るだけの器が無い。

 そのせいで結局スラムの状況は改善されず、レオノーラの暮らす街では救済院の行為はほぼ全て徒労に終わってしまった。だがそれでも諦めずに各国を順々に巡り、一つ前の街での反省点を活かし、活動内容を改善しつつ、貧困層の救済に全力で挑む聖女達の努力する姿は教会への求心力の一端を担っているおかげで今後も彼女達の活動は続いていくのだが、この国の上層部達はもう諦めの境地に達していた為、このスラムに追加で手を差し伸べてもらえる日が来たのはもう、いく代も世代を超えた先となる。

       ◇

 数週間後。どうしてかまた、『救済院』を名乗る者達がレオノーラが暮らすスラムに現れた。炊き出しを始め、『聖女様からのありがたいお言葉を頂けるぞ』と語って人々を集める。以前来た『救済院』の施しと似た手法だった事もあり、スラムで暮らす多くの者達が集まった。だが、『配給のパンをもらえるそうだ』『傷の手当てをしてもらおう』『医者に病気を診てもらえるらしいぞ』と口にした者達は、救済院が新たに拠点とした建物の中に消えたまま、何故か帰って来なくなった。

 一人、また一人と、女子供だけじゃなく、若い男性までもがスラム街から消えていく。

 不審に思い、シェルター解体の一件で以前以上に人間不信に陥っていたレオノーラが遠くから様子を窺っているうち、彼女は『救済院だ』と名乗る団体の正体に気が付いてしまった。

 今回『救済院』を語って来た者達は皆、『奴隷商人』だったのだ。

 闇夜に紛れて人々を馬車に乗せ、スラム街の人々を『奴隷』として出荷していく。奴隷はどの種族であっても何処の国であろうが禁止されているのだが、安価で使える働き手などとしての需要はなくならない。奴隷を扱ったとバレれば売り手も買い手も捕まるが、残念ながら全てを取り締まれる程の警備力を誇る国はほぼなく、世界の暗部はじわじわと広がるばかりなのが現状だ。

(捕まれば、私も売られてしまう!)

 子供ながらにそう悟ったレオノーラは直様スラム街から逃げ出した。

 壊させる以前のシェルターなどには、元は奴隷だったが運良く逃げて来て、結局スラムに行き着いた者達も多く居た。そんな彼らが口にする体験談は悲惨なものばかりだったからだ。性奴隷にされた者ならまだ幾分かはマシな方で、医術の実験台にされて毒を飲まされ続けたり、回復魔法の練習をする為の事前準備だと体を切り刻まれた者や、狩りの対象にされて外界付近を追い回された挙句に仲間を目の前で惨殺された者もいた。その為体の一部を欠損している者も多く、そんな者達を多数見てきたレオノーラの中には『スラムに留まる』という選択肢は存在しなかった。

 すぐに彼女は安全そうな方角へ走りに走った。剥き出しの足裏が痛もうが、勢い余って転んで怪我を負おうが、目に入った木の実をもぎ取り、川の水を啜ってとにかく遠くへ逃げた。生まれ育ったけど名も知らぬ国を出て、力ある魔物や獣が多く住む『深淵の森』と呼ばれている地区に入ってしまっても走り、安全そうな地点で気絶するように眠っては起きて、また走り続けた。安住の地なんかきっと何処にもないけど、目指せる地点も特になくても、もう奴隷商の影に怯える心配なんか不要になったはずだと考える日もあったけど、この先何をしていいのかもわからない身ではもう『走って逃げる』という行為そのものが生きる目的となっていった。

 深淵の森には魔族が居ない分、大陸の外輪側よりかは幾分安全ではあるものの、多種多様な動物や魔物は数多く存在している。そんな森の中に小さな子供が侵入してもう一ヶ月程が経過した。星を読む知識も無い小さな身では方角を完全に見失っていて今更元の国に戻る事も叶わない。前に前にと、歩きながらただ進んで行くが、他人からの悪意に晒されない分スラムに居た頃よりも気は楽だった。

 ——そんな日々の中。

 レオノーラは時々『魔力溜まり』と呼ばれるものを発見する事があった。小規模なものは簡単に消える程の脆いものなのだが、触れたその瞬間、別の場所に飛ばされるという不可思議で簡易的な天然の転移ゲートでもある。地底深くに根付いているユグドラシルの根っこに沿って自然発生している物なので使ってみないと何処に飛ぶかもわからない。だが特に目的地の無い彼女にとって不都合に感じる理由などなく、見付けるたびに遊び感覚で触れていった。肉食獣からの追跡から逃れる為に命からがら使った事もある。実は他にも使い道のある物なのだが、それを彼女が知るのはもっと先の事だった。

 何度目かの転移の果て、レオノーラは思いも寄らぬ場所にまで到達した。

「まさか……これって、世界樹?」

 酷く驚き、目を見開きながら久しぶりに発した彼女の声は酷く掠れていた。

 この瞬間。レオノーラは世界樹『ユグドラシル』にまで到達した初めてのヒューマ族となったのだが、彼女の名前が後世にて各国の歴史書に刻まれたのは、もっと別の理由でだった。

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